7月後半
まず7月後半の一番大きな目玉は内田先生の理学療法、整体関係の某学園での講演。私もご紹介させていただいた事もあり、講演を聞かせていただきました。一般公開ではなかったので妙録を再録しますね。
『痛みは社会構築的なものであるということが『痛みの歴史』という本に書いてあった。同一の不調であっても、患者がどのような身体文化の中に生きているかによってその痛み方は違ってくる。ナポレオン戦争のとき、あるフランス将校は手術台で足を切断した後、そのまま馬にまたがって前線に戻ったそうである。『革命の大義』のために生きている人間の感じる痛みと、そのような意味づけを自分に与えることのできない人間の感じる痛みは、たとえ身体症状が同一でも、おそらく別のものなのである。
人間の身体はそのように記号的に分節されている。病理学的に同一の症状だから、すべての患者が同一の痛みや不快を経験しているということはない。そんなことは治療者のみなさんはすでに経験的に熟知されていることだろう。
だから、治療行為の前提は、身体的不調を患者がどのような「物語」のうちに置いているか知ることにある。あるいは患者のために「物語」を共作することにある。
「病についての物語」を患者と治療者が共有できれば、治療は(治療の適否にかかわらず)ほとんど成功を約束されている。
私たちの時代においてドミナントな治療理論は依然として局所論であるが、これは患部を局所に限定し、それを自我本体から切り離すことで不快を除去する治療戦略である。しかし、場合によっては『病んでいる私』を『私の本態の姿』として引き受ける統合論的治療も効果をもつはずである。その場合、身体的不調は自我のうちに統合され、その不可欠の一部として、『私』の存在に陰翳や奥行きをもたらすことになる。『病とともに生きる』ことは『病なしに生きる』ことより生き方としてはしばしばはるかに健全であることを経験は私たちに教えている。』
どうです、凄いでしょう(^_^)b。後は名古屋での韓氏意拳の分館発足に伴う初講習会、大阪での講習会などHSYQ関係でも忙しく過ごした。
7月6日(金)
昨日の深夜(正確には今日)、テレビ朝日の『ナンだ!?』(24時15分〜24時45分)で『今巷で話題沸騰!「古武術で世界が変わる」』のタイトルで甲野先生特集を見た。今までの甲野先生を特集した番組の中でも1、2を争う良い出来だと思う。みんなが興味のあるところを真面目すぎず、かといって不真面目にならない程度に楽しく分かりやすく編集できていたと思う。甲野先生もとても楽しそうだったしね(^_-)-☆。
ところで、この番組の冒頭甲野先生が登場するシーンを見てとっても感激した。なんと呉服屋さんネットオリジナルの長半纏を道着の上に着ていただいていたのである(感涙!!)
。いろいろTV番組に出るときには気を遣って羽織るようにしているんですとありがたいお言葉を以前頂戴していたのだが、実際自分の目で見るとやっぱり嬉しい(^O^)。甲野先生にはお世話になりっぱなしでなんのご恩返しも出来ていないので申し訳ないといつも思っているのだが、なんとかご恩返しを考えていかないと滞納した税金がドバッと来ることになりかねないね(^_^)b。
そうそう、『ナンだ!?』の甲野先生特集は来週も後編があります。来週は上級者編と言った感じで見応え充分。ぜひご覧になってくださいね〜(^o^)/。
7月5日(木)
たまにこういった日が有る。注文が朝から重なってバタバタの一日。そういったときに限ってカットの予約をしてたり…(^_^;)。いつも行くバービカンの花咲さんにお任せなのだけども、今日は気がつくとまたいかした髪型になっていた。店に帰ると母親が一言「何その頭、中国人みたい」。本人は、短くサッパリしたので何でも良いのだが(どうせ伸びるしね)、いつも家族にはカットに行くと「変」と言われる。H導師の奥様にもカット直後は「不好」と言われるし花咲さんはパリコレでスーパーモデルのカットやセットもしていたくらいだから腕が悪いはずがない。と言うことはモデルが悪いか、その髪型が田舎では斬新すぎるかだろうが、おそらく両方だろうね(^_-)-☆。
7月2日(月)
携帯くんの一人旅
「やあ、僕は携帯、富士通のF901iCさ!
昨日僕は旦那さんのお供で京都に行っていたんだ。
京都では仕入れやF井さんと加工屋さんに行ったり、とても楽しかったよ。
無事仕入れも終わり、京都を予定通り出て無事丸亀に到着するはずだったんだ。
ところが、旦那さんが僕のことを座席前のカゴに入れたりするものだから、すっかり忘れて降りて行っちゃった。
僕はそのまま高知まで初めてのお使いならぬ一人旅行。
このままどうなるんだろうと不安だったけど、
どうやら旦那さんが早めに気がついたらしく、
JRに連絡を入れてくれて、高知で車掌さんに拾われて、
とんぼ返りに高松行きの特急に乗せてもらって丸亀まで帰ってこれたんだ。
23時過ぎに旦那さんが迎えに来てくれてホッとしたよ。
実は一番慌てていたのは旦那さんで、僕を見た時のホッとした表情と言ったら…とても可笑しかったよ。
でも、もう少し一人旅もしてみたかったかな(^_-)-☆。」
7月1日(日)
ミクシーのニュースコラムで 、【コラム】 国民性も反映されている、世界の「顔文字」事情とは? アメリカ人は口で、日本人は目で話す…?実はコレ、皆さんおなじみの「顔文字」のハナシ。欧米圏の顔文字と日本のそれとでは確かに違う。でも、なぜでしょう?
最近、「表情知覚の際に注目する顔のパーツの日米差」に関する調査を行った北海道大学大学院文学研究科の結城雅樹准教授に聞いてみた。
「顔文字で感情を表現する際、日本では(^_^)や(@_@)のように、目の表情が豊かであるのに対し、アメリカでは「:-s」や「:-o」のように顔を倒して表現し、口の表情に特徴が表れます。日本とアメリカで行った実験では、アメリカ人は相手の口の形に注目して気持ちを読み取ろうとする一方、日本人は相手の目に注目することが分かりました。日本人はあからさまな感情表現を避けるので、つい正直な気持ちが表れてしまう目に注目するのでしょう。顔文字の使い方の違いも、こうした文化差の一つの表れと考えられます」
〜後略〜 というのがあった。
欧米では口、日本は目で感情を読み取り表す傾向が強いとか…。細かい感情を読み取ろうとすると目の方が読みやすいと思うし、欧米のように言語中心文化だと(暴論です。読み飛ばしてね)口で表情を読み取ろうとするのかも。チャンドラーの「ロンググッドバイ」の最後でマーロウがテリーレノックスを見て「瞳の色を変えることは出来ない」という部分は具体的な瞳のことでなく、ここでいう目のことなのだろう。洞察の鋭いマーロウは口だけでなく人の目を見ているというのも面白いと思った。
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