11月30日(木)
明日12月1日から7日まで野上君と一緒に中国に修行に行ってきますっ(ロ_ロ)ゞ!その間ネットでのご注文の処理が出来ません。ご迷惑をお掛けいたしますが、8日以降の処理と言うことになりますことをご了承下さい。
向こうでは鹿さんや独楽さんは一日遅れて2日に珠海入り。久しぶりにみんなで練習、楽しいな♪。でも準備はまだ何にもしてないの(T_T)。この前向こうで荷物を無くしてから、いざとなれば何とでもなると分かってからつい荷物支度が億劫になっていけない。そうそう、機中で読むクリシュナムルティーの本も忘れちゃ行けない。きちんと準備だけはしとかないとね(^_^)b。
11月26日(日)
朝から生憎の小雨模様。KQKは9時30分からなので、遠くからお出でになる方は大変だろうと思う。それでも10名ほどの方にご参加いただき、まずは昨日の続きから歩法を最後まで。それから初めての方も来られたので、また形体、平歩站椿を重点的に行う。初めての方も含め、今回ご参加の方は皆さん体認が相当深くなっていて、練習も気持ちがよい。あっと言う間に時間となり終了。少しでも皆さんの体認のお役に立てたのなら嬉しいのだけど…。会場から出ようとすると外は大雨。H田さんと相合い傘でも、身体半分ずぶ濡れになりながら(笠を持って行ってなかったの(;´_`;))車までたどり着く(ハゼさん、車汚してゴメンね)。そのままフェリー乗り場に送ってもらい(途中ハゼさん宅に立ち寄りお土産をいただく、アリガトね)そのままフェリーに。九州は大雨だったのに豊後水道を渡っている途中で晴れ間も出てくる。三崎港に着く頃にはすっかりよい天気。これなら帰りも楽だね♪と家路に。ところが、松山自動車道に入り桜三里付近から天気がおかしくなってくる。まず霧。一面乳白色で50b先も分からないので、当然とろとろ運転になる。桜三里を抜けると霧は晴れてきたが、今度は強い雨ときつい風が…。スピードを出すと車体が降られて怖いので、やっぱりゆっくりとしたスピードで香川との県境くらいまでずっとこんな調子。何とか家に帰り着いたのは18時過ぎ。妻が出た女子アマチュアボクシング大会の取材があり、ニュースで放送されると聞いていたのだが、タッチの差で見逃す(T_T)。そんなこんなの慌ただしい2日間でした。ハゼさま、KQKでは大変お世話になりました。これに懲りずまたよろしくお願いしますね(次お会いするのは中国ですね(^_^)b)。
11月25日(土)
土曜日は午前10時から正午まで町の武術的介護アプローチの講座。しんさんや甲野先生をご紹介したのだが、町の予算が・・・(T_T)ということで私におはちが回ってきたのである。会場に入ると、参加者の皆さんがすでに到着なさっている。ほとんどの方が65才以上と言うことで、あまり無理もできそうにないので、考え方や武術遊びのようなものを通して、いろいろな身体運用方が在ると言うことを気がついてもらえたらというような持っていき方に急遽変える。まず、見本で起こしたり、添え立ちや浮き取りなどを見ていただき、不思議そうに見えるこれらのことも、身体全体を普段のように使えば出来ると言うことを説明し、次に武術遊びのようなことをいろいろ行って貰う。あちこちで出来たり出来なかったり、いろいろ「やったー」とか「あれぇ、ホントに?」、「出来ないー(>_<)」など声が上がる。その身体全体を通した感覚が少しでも感じていただければ出来る出来ないは二の次ということを説明してまわる。次に抱き起こしを行う。ここは陽くんの指を引っ張る感覚を使わせて貰って自分の指を引っ張りながら行うと上手くできた方が多くなった(それでも全員出来たわけではないのだけど…)。次に椅子から立ち上がらせるのを、身体揺らすバージョン、手を重ねるバージョンなど割と簡単で身体に負担のないものをしていただく。これは皆さんすぐに出来、その感覚の不思議さを体認していただけたようだ。横では介護士の方も居られたので、その方たちの質問を受けながら、少し難しいものを体験していただく。出来る技と出来ない技がはっきり分かれる。見た感じで、最初から自分で心にブレーキをかけているようだ。ふと気がつくとすでに12時5分前(@_@)。あわてて終了(次は急いで大分に行かないといけないので)。後からメールで世話人の方にお知らせいただいたのだが、どうやらご参加いただいた方にも興味を持っていただいた方が多いらしく2回目などを希望されている方も居るそうだ。今度は私などのパチものじゃなくしんさんにぜひ香川にお出でいただいて講習会をして貰って、皆さんに出来るようになって貰いたい。
しんさん、お願いしますね〜(^o^)/。
町の午前中のイベントが終わって直ぐ愛媛の三崎港に向かう。大分までのフェリーが出ているのだ。所要時間70分で上手くいけばウチから4時間ちょっとで大分に着ける。比較的スムースに進み、16時30分発のフェリーの予定が一本早い15時30分発のフェリーに乗ることが出来た。後は、向こうに着くだけで、ハゼさんのフルアテンダントなので、大変気が楽。到着までフェリーでうたた寝。佐賀関の港に迎えに来てくれていたハゼさんと合流し、会場に向かう。時間があるので、先にホテルにチェックイン。その後ホテル前にある紀伊国屋によりクリシュナムルティーの全4巻の本を購入(ほぼ一万近くの予定外の出費(T_T))。その後会場に向かう。会場は九石ドームの中にある会議室。3区画の一画なのだが広い広い。歩法も余裕で出来そう(^o^)。すでに殆どの方は来られていて(霧で高速が通行止めで遅れた方も居られるけど)、少し早めだけどはじめる。形体、平歩站椿、摩擦歩、技撃椿、歩法と進みタイムアップ。続きは明日と言うことで解散。今回鹿児島のI村さんご兄弟や佐世保のH田さんは車中泊ということだ。凄いね。ゆっくり休んでくださいね。
11月24日(金)
昨日は久しぶりに一日に、午前中少人数KSK、午後から一般KSK。今年はこれが最後と言うことで、参加者の方も15名と盛況。
関西からS田さん、T久さん、Y本さんそして初めてのH田さんがおいでになる。ありがとうございました。光岡先生も皆さんに宿題と言うことで、学理のほうでもガンガン飛ばす(でもみんなついて行くところが凄いんだよね〜)。非常に充実した稽古となる。練習後光岡先生、脊椎さん、関西の方々と明水亭に。美味しいおうどんやデザートなどでお腹も満足。次回光岡先生にお会いするのは中国(脊椎さんよろしくね)。また、香川でのKSKは来年になる。私自身も含め宿題に真摯に取り組まないとね(^_^)b。
11月23日(木)
昨日は大阪の玉造で、多田容子さんの「プチ手裏剣教室」に参加。久しぶりにお会いし、懐かしい話や、現在の状況など色々お話ししながら、手裏剣の稽古。彼女は甲野先生の手裏剣の影響を受けながらも、関西のT本先生の指導も受け、手裏剣の技を磨きながら、今回のような自主稽古会を主催している程の腕前。2間、3間など当たり前に通す姿は流石に美しい!!私はと言うと、通ったり通らなかったり、まるで占いの八卦の様だ(^_^;)。それでもアドバイスを受けながら色々打ち方を試していると、どうやら上に構えるより、下から何気なく放り投げる方が向いているようだ。まるで私の性格のようにいい加減…。
手裏剣って本当に人がでて面白い。あっという間に3時間がたちお暇の時間。他の参加者の方はお仕事が終わっての参加と言うことであまりお会いできず残念だったけど、久しぶりに手裏剣三昧は面白かったです。また、是非お声を掛けてくださいね。
11月22日(水)
今日はこれから若手女流時代劇作家であり、手裏剣少女であり、柳生剣士であらせられるところの多田容子さんのプチ稽古会に参加してきます。久しぶりにお会いできるのが楽しみ〜(^^)v。
11月19日(日)
今日は徳島でKQK。
今回は7人ほどと少人数なので、しっかり丁寧に進む。おかげで歩法の途中で終わってしまう。でも、毎回皆さんの進歩が早いので嬉しい。
なかなか仕事の関係などで参加いただけないT口さんやN川さんも何か掴んでくれたみたい。また、初めてのM君(ん〜)も興味を持ってくれたみたいなので、これから一緒に学んで行けたらと思う。お世話いただいたdojoさま、有り難うございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
11月18日(土)
今日は大阪朝日カルチャーでけいぞう君の番の「武術的立場」を聴講に行く。自分の番は善かれ悪しかれ終わったので、冷やかし気分で(失礼!)リラックスして向かう。朝カルに着くと既に到着しているやました、さん、しんさんと合流しお茶をしばく(←死語?)。そのあと、けいぞう君ご夫妻や内田先生にご挨拶。そこにはかんきち君がいて、そのあとサムライラガーマン平尾さん、うっきぃさんたちがお出でになり、控え室が既に濃い空間に…。(どうもやました、さんがそこで当てられたらしい(^▽^ケケケ)
時間ぎりぎりまでみんなで喋ってそのままの雰囲気で対談に突入。実演なしの私と違ってけいぞう君は実演ばりばり。かんきち君が見事な受けで、お客様の「受け」もバッチリ。突然、内田先生のご氏名をいただき前で少し喋ることに。それにしても、突然フルのはやめてくださいね。心臓に悪いから(^_^;)。あたふたしながら指示代名詞爆発で、訳の分からないことをガンガン喋る。これで良かったのか…?まあ、前回動いていないのでこれ位は税金かも…(^_^;)。その後は平尾さんも登場して、大盛り上がり!!とっても楽しい会でした。後の打ち上げが心残りだったけど、翌日徳島でのKQKがあるので、今日はお暇。来月は本格的な打ち上げがあるそうなのでそちらに楽しみは取っておこう。
11月12日(日)
『死は到るところにあるというのに、私たちは死と共に生きてはいないようだ。それは暗く恐ろしいもので避けるべきであり、けっして語るべきではない、扉を閉じてそれが近づかないようにというわけだ。しかしそれはいつもそこにある。愛の美しさは死そのものなのに、だれもそれを知らない。死は苦痛であり、愛は喜びであり、この二つはけっして相容れない、切り離したままにしておくべきだ、と。しかしこの分離が苦痛であり、苦悩なのだ。この分離と、果てのない葛藤は時間が始まって以来こうだった。観察する者は同時に観察されるものであり、経験する者は経験されるものであるということに気づかない人たちにとって、死はこれからも常にあるだろう。』
とクリシュナムルティーの日記に書かれてある。私たちは死というものを識っていながら、そしてそれは何時でもあることを識りながらも、死が縁遠いときには、それがどんなものかを本当に知ることはないのかもしれない。だからイメージとしての死を作り、そこから逃れたりすることは経験するものとされるものとしての自己に分離をもたらす。体認もまた然りなのではないか?イメージで体認を掴もうとすれば、それはけっして体認にはならない。ただ、知る、ただ在る…做自己と言う言葉の何と深く重いことか。
11月10日(金)
クリシュナムルティーの日記から
『人類はなぜ誤ちを犯すのか、なぜ堕落していくのか、なぜ淫らにふるまうのか、なぜ攻撃的で暴力的で狡猾なのか、あなたは不思議に思ったことはないだろうか?環境や、文化や、親たちを責めるのはよくない。私たちはこの退廃の責任を、他人やなにかの出来事のせいにしたがる。説明したり原因をあげつらうことは安易な逃げ道にすぎない。〜中略〜心理学者たちは問題を親からの影響ということに置きかえてしまう。いわゆる宗教的な人々は、自分たちの教義や信仰にもとづいてあれこれ言う。しかし問題は依然として解決されない。
また一方では生まれつき心が寛くて、やさしく、責任感の強い人たちがいる。そういう人たちは、環境によっても、どんなに圧力を受けても変わらない。どんな喧噪のなかにあっても同じままだ。なぜだろう?』
他責性の中に問題を見ようとする限り問題は解決されない。おそらくそこには安全圏にいて観ている、批判している自分というものがあり、本当に自らの問題としてとられていない(とらえられていない)気軽さがあるのだろう。他責的な構文の選択ははそれこそ自分にかかっている。深く自分を見つめるところにしか自己は心をひらかないのかもしれない。
11月8日(水)
昨日幼稚園での武術教室に地元のケーブルテレビの取材が入り、汗が引いた状態のまま調子に乗ってしゃべっていた。昨日は格別寒く、話している途中から「おや、寒いぞ…?」と思っていたら案の定今日は風邪気味。のどの痛みと微熱と身体のだるさで一日だらだら過ごす(幸い店が休みだったので)。
妻が夜仕事で夜ご飯は私担当と言うことで、何にしようかと考えながら、ボーっと朝の「はなまるTV」を見ていたら(今日は甲野先生の出演日なので見ていたのだ)美味しそうな鶏飯がでていて、「そうだ!晩ご飯は鶏飯に決定!!」となる。ふらふらしながら鶏のガラを近所のスーパーに買いに行って、お昼くらいからことこと煮込むこと5時間。ご飯を仕掛け、煮込む間ベッドでダウン。子どもたちが帰ってきたのでよろよろと起き出して、ささみを湯がいてちぎったり、味を調えたりして、18時前に完成。子どもたちも美味しいと行ってくれたので、とりあえず良かった。でも風邪の状態はちっとも良くならず相変わらず、寒気とのどの痛みがある。後次男の塾の送り迎えがすんだら、さっさと今日は寝てしまおう。
11月7日(火)
クリシュナムルティーの日記の4日目から
『頭脳がしてきたこと、なしうることは思いも及ばぬものがある。しかし、たった一つ、明らかに頭脳にもできないことがある。他人の頭とか他者とかの関係において、頭脳そのものが動き方を完全に変えることだ。罰とか報酬によって頭の動き方を変えることはできそうにない。知識は、頭脳の動き方そのものを変革できないのだ。私と、あなたが残る。私があなたであり、観察するものは同時に観察されるものであるということを、頭はけっして理解できない。愛することは頭脳にとって退歩であり、快楽は苦しみであり、その理想とする神には破壊される。頭脳の自由は、自身の牢獄でもある。頭はこの牢獄のなかで暮らすようにしつけられ、ただそこをより快適に居心地よくしようとしているにすぎない。あなたは、たった一つしか頭を持っていない。それを大切にしなさい。壊してはいけない。それはひどく毒されやすいものだ。』
この文章も私にはとても難解だが、なぜか身につまされる。牢獄のなかにいながら、それに気付かず、ただ今居る場所を快適に居心地良くしようと懸命に生きている…それは他ならぬ私自身の事ではないか?もっと大切にしなければならないものは他にあるのではないのだろうか…?
11月5日(日)
今日は午後からKQK。10名ほどの人数で、形体、站椿にもじっくり時間を掛け練習。それぞれの質問も本質的なものが多くなり、皆さんの体認の深さがどんどん深くなっているようでとても嬉しい\(^O^)/。特にペングリップさんやオクサンの動きが全然変わって自然で伸びやかでとても良い感じ。ご本人は分からないですと仰っていたが、分からないものを分からないまま置いておけるようになった事で、ただ行う(做自己)ことにつながっているのだろうと思う。これから先の練習がますます楽しみですね。いっしょに自然、舒展を体認していきましょうね〜(^.^)/。
11月4日(土)
今日は飯山町の文化祭のお茶会のお手伝い。私はいつも通りお点前とお運びで参加させていただく。今回から会場がかわり(丸亀市と合併していつもの体育館の使用料が大幅にアップしたので)、もとの町役場のとなりの公民館での茶会となる。いつもの立礼と違って今回は座礼。しかも小学校の茶道部の部員と一緒に合わせてお点前。普段しないお点前なので不安もあったが、今日のメインは小学校のお子さんで私達大人のお点前は添え物なので、ある意味気が楽(^_^)。それより、お客さんがどれだけ来てくれるのかの方が、先生はじめみんな気を揉んでいた。けど、実際には用意した300個のお菓子は全てでて、急遽用意したお干菓子も50個くらいでて一安心。みんな良い気分でお茶会も無事終了。皆さんお疲れ様でした。
11月3日(金)
某組長(笑)の鹿さんがブログで、猫の早業の映像を紹介されていたそうだ。映像はこちらから
確かに一形一意で動く猫の動きは何時でも臨界状態で、ほとんど映像が飛んだ!?と思えるくらい唐突に動ける。HSYQで求める自然さとはこういった意と身体の動きが知行合一でなされるものだろう。ところで、他の映像を見ていると加工したものはともかく、猫(動物)にもいろいろ個性があって、失敗したり、ヘンな動きで笑ってしまうものもいて、これこそ典型行為なのだろうなとヘンに感心してしまった。彼らはああいった失敗した動きにさえ恥ずかしいなどの感傷無く、ただ一形一意に失敗しているのだろう。自分の練習も、例え出来なくても、そうありたいと思う。
11月2日(木)
クリシュナムルティーの日記の3日目に、
『瞑想において時間は要因ではないし、瞑想する者と等価である言葉も要因ではない。瞑想のなかには、瞑想する者もいない。もしいれば、それは瞑想ではない。瞑想者は言葉であり、思考であり、時間である。移ろいやすく、ここにやって来て、また去っていくものにすぎない。咲き散っていくのは花ではない。時間とは動くことだ。あなたは川のほとりに坐り、水や、その流れや、漂流物を見つめている。だが、あなたがもし水中にいれば、観る者はどこにもいない。美は単に表現のなかにあるのではない。言葉や表現、画布や本を捨てたところにある。』
私にとって非常に難解な文章だが、しかし体認について非常に重要な部分を述べているように思える。体認のなかには体認する者がいては体認ではないのだ。体認は体認そのものでないと体認とは呼べない。すぐそこにあるはずの体認を千里の径庭のものとしているのはそのものになりきれず、外部にしがみつく自分なのだ。
11月1日(水)
先日29日に大阪で行われた本田秀伸さんの試合結果が分かりました。 10ラウンドフルに戦って、判定(ジャッジ3人とも本田さん)で本田さんの勝利だったらしいです。良かったぁ〜\(^O^)/。でも長いブランクの後なのに10ラウンドフルなんて凄い、凄すぎる。あー、見に行きたかったなぁ。次回は絶対応援に行くぞ!
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